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昌景のお墓

旅館「山県館」の山縣昌景の墓
山県館にある山縣昌景の墓

※撮影時期は不明(ブロック塀は「武田菱」道路は舗装前)

2019年の台風で「旅館山県館」脇に有りました「昌景公」のお墓は崖崩れに巻き込まれ倒壊


山縣昌景の墓(山県塚)

山縣昌景の墓

長篠の戦いで鉄砲隊の猛攻を受け落馬した山縣昌景は家臣の志村又右衛門によって胴切山に運ばれました
しかし手当を尽くしたものの昌景が息絶えたため又右衛門は遺体に後の供養を依頼する書状と短刀「小烏丸」を残し首級のみ抱えてその場を立ち去ったとされています
戦いが終わり戻ってきた村人達は昌景らの遺体を手厚く葬ると印の松を植え「胴切りの松」と呼んで花や香を手向けたと伝えられています

※短刀「小烏丸」は太平洋戦争に伴う供出のため行方不明

現在では胴切りの松は残っていませんが昌景の苗字からその地名は「山形(縣)」と呼ばれるようになりました
いまでも昌景ほか息子の山縣甚太郎昌次・従士名取又左エ門道忠・高坂又八郎助宣の墓碑が建ち並び静かに眠っています

地名「山形」の由来

山縣家の菩提寺 巨鼇山きょこうさん 天澤寺てんたくじ
天沢寺

飯富家と山縣家の菩提寺である天澤寺に昌景の墓碑が残されています

昌景は天正3年(1575)の長篠の戦いで討死し長篠から持ち帰った遺体は天澤寺に葬ったと伝わっています

天澤寺には他にも兄(または叔父)飯富虎昌の墓碑と位牌 昌景の子とされる山県昌満の位牌が安置されています

飯富・山縣兄弟墓碑
天沢寺
天沢寺
天沢寺

巨鼇山 天澤寺(曹洞宗) 所在地:山梨県甲斐市亀沢2609